「やめたいけどやめられない」
そんな断ち切りたい習慣が、誰でも1つくらいはあるんじゃないだろうか。
悪い癖をやめるためには、 客観的に自分を見つめてみることが有効だと思う。
対象から目を背けたり、 ハマっている自分を見ないようにするのではなく、 むしろしっかり向き合って、原因に切り込んでみることだろう。
わかりやすい例でいうと、 ギャンブルがやめられないという人は少なくない。
なぜギャンブルにハマってしまうのかは、脳科学的、 心理学的な多くの説明がある。
スロットマシーンをやっている人の脳を観察すると、脳が心地よいと感じるドーパミンは、当たった時に出ているのではなくて、当たりそうな時に出ている。
だから当たっても、当たらなくても、ドーパミンが出て、その刺激がやみつきになって抜けられなくなるという流れ。
こんな感じのギャンブル性が、 実は人生全体に潜んでいると思っている。
当たるか当たらないかみたいなドキドキがあって、 その結果に一喜一憂する・・・ この構造はギャンブルの構造であると同時に人生の構造の一部でもあるんだ。
たとえば音楽の発表、スポーツの試合、うまくいくだろうか。
報酬の喜びを目指して、ドキドキしながら不確実な未来へ飛び込む、という流れはギャンブルのそれに近いものがある。
成績が出て実績が貯まっていくコレクション性も報酬の喜びになっているかもしれない。
Twitterのアプリをスクロールして新しい投稿を見る時の更新のタイミング感はスロットに似せてあると聞いたことがある。
画面からの視覚、聴覚などの体感的刺激も相当なものだろう。
人がハマる仕組みをよくわかっている人が、ハマる工夫を随所にちりばめて、世のサービスやゲームを作っていたりするわけだ。
だとすれば、逆に習慣化したい行動を意図的にギャンブルっぽくすることで、継続性を持たせやすくなるのではないか。
例えば勉強。勉強をすることが、仮に苦痛で、なかなか継続できないとする。
しかし、模試を受験したり(うまくいくかわからないギャンブル性)、小テストなどで日々の成長を確認したり(コレクション)、というように報酬を意識することによって継続確率が上がると思う。
そういう意味で、このブログもギャンブルみたいなところがある。
書いていることが伝わるかどうかわからない、反発されるかもしれないし、喜んでもらえるかもしれない不確実性(ギャンブル)
続けて書いていると、過去の文章が残って貯まっていく(コレクション)
考えていることを文章に落とし込んで、公共の場にさらす。恥ずかしいといえば恥ずかしいけど、けっこう本気で文章を書いていて、書き終えるとそれなりに達成感、高揚感がある(体感的刺激)
これだから、なかなかやめられないわけです(笑)
終わり