どうもです。
年始にスポッチャでローラースケートをする機会がありました。
やるの初めてだったので、事前に軽く方法論をネットで調べてみたのですが、だいたい最初はブレーキの仕方と転び方をマスターしましょう!という論調でした。
で実際、最初にブレーキの練習と転ぶ練習をして、ある程度できるようになってからやってみたところ、少なくとも安全にすべることができました。
いざとなったら安全に止まったり転んだりできる安心が大前提となって、その後の技能の習得があるんだろうと思います。
で思ったのが、
「このブレーキと転び方をまず最初に学ぶ流れ、、、スノボーとかもそうじゃね?あと柔道とかも受け身を学ぶよね。。。
この、コケることを前提にむしろコケる練習をしておいて、コケても怪我なく立て直せるようにしておくのって、もはや人生もそうなんじゃね?」
ということ。
うん、まぁ、多分そうなんだと思う。
ということでスケートから拡大解釈して、人生とか、もうちょっと控えめに生活などの場でいかに倒れた時に回復するかについて考えてみました。
個人的に思うのは、コケた時に立て直すポイントは、自分の力でやろうとしないということ。
性悪説は、もともとの意味は性弱説で、人間誰しも、裸一貫状態の丸腰では弱いもの。
そんな弱い自分でも立て直せるように、環境や他者の力を補助輪として活用させていただくのも手、というかそれがすべてくらいに思っています。
例えば、なんかやる気でない、、、という時は、外出してカフェに行ってみる。
カフェには人もいるし、環境音もあるので、一人で家にいる時に比べて刺激が多く、脳波が出やすくなり、やる気等が生じやすい状態になります。
やる気失せる→カフェに行く→回復
の流れを繰り返すことにより、カフェに行くことで条件反射的にスイッチが切り替わる状態を作ることも期待できます。
カフェに限らず、ここに行けば回復できる!という聖域的な場所を知っておく、作っておくのは重要だと考えています。
これは環境の力を活用した例ですね。
また、人の力、例えば人との予定などの約束というのも非常に有効だと思います。
社会的信用を失いたくないという力はわりと強力で、通常なら無限にダラダラしてしまうようなシチュエーションだとしても、何か人との約束があると驚くほどスパッと切り替えられると思います。
ただ、その約束をキャンセルしてダラダラを継続するという行動をとってしまった場合、すぐさま脳は「キャンセルしていいもの」として覚えてクセになってしまい、
次回からは同じような約束だと補助輪としての効果が薄くなり、「キャンセルすると怒られる」などのよりハードな補助輪が必要になってしまうので、気をつけた方がいいかもッス!
以上ッス!