ゴールデンウィークも深まってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか😃
GWに観光に出かける方も多いと思いますが、先日、ここ最近仕事で東京に来た人に東京観光で行った場所を聞いたところ、
「浅草」と「東京タワー」に行ったとのこと。
とにかくこの2つは「東京っぽい」そうです。
そんな東京タワーですが、日本人の凄さが凝縮されたような、ものすごい建造物なんです!
今回は、そんな東京タワーのすごさを紹介します✨
東京タワーが完成したのは1958年。当時、爆発的にテレビの普及が進む中、テレビの電波塔が増えると、東京中が電波塔だらけになって景観が悪化するという懸念がありました。
そこで考え出されたのが「巨大な電波塔を1つ建てて、それで関東一円の電波をまかなう」というものでした。
条件は、
・関東一円をカバーするためにエッフェル塔(312m)を超える333mである必要(当時としては世界一高い)
・台風や地震にも耐えて、かつ、観光名所となるような美しいデザインが必要
・完成までの時間は、1年半(めっちゃ短い)
というものでした。
東京タワーの建設のために設立された「日本電波塔株式会社」の社長、前田久吉は、「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。1300年も前にすでに高さ57メートルもある五重塔が日本人の手でできたのである。まして科学技術が発展した今なら必ずできる」と豪語したと言います。
そんな東京タワーの設計を担ったのは71歳のベテラン建築家で、塔博士とも称された内藤多仲という人物でした。
彼は戦艦大和の鉄塔や、通天閣、そして数十本のラジオの電波塔の設計をした実績があるなど、マジで塔博士でした。
そんな経験豊富な大ベテランだとしても、東京タワーの設計の難易度は異次元だったといいます。
まず工事期間が1957年6月から1958年12月までの1年半しかなく、設計にかけられる時間がかなり少なかったため、内藤は1万枚にもおよぶ設計図を手作業で3ヶ月で書き上げました。
また、日本はヨーロッパなどと違って台風や地震のリスクがあるため、耐震性と耐風性が求められました。
そのため、鉄骨をギリギリまで細くし、部材を三角形に組み立てる「トラス構造」が採用されました。
※いろんなトラス構造があり、橋とかにも使われてるらしい!
そして地震の揺れを吸収するために、部材同士を完全に固定せず、わざと余裕を持たせることで、しなやかに揺れを吸収するという、昔の日本建築っぽい発想がありました。
そしてコンピューターのない時代ゆえの解析や計算の手作業など、その設計は困難を極めるものだったといいますが、紆余曲折を経て何とか設計図が完成します。
しかし、実際の工事も大変なものだったのです...が、長くなってきたのでまた次回!
続く