どうもです。
本日は、多数派(マジョリティ)と少数派(マイノリティ)について考えてみました。
まず政治の世界では、日本を含む多くの国では民主主義制ですが、これはザックリ言うと多数決。
(#ザックリです)
多数派の意見が社会の意見となり、流行や世論、常識を形成していきます。
また資本主義の世界でも、多数派をターゲットにして、多数派にとって耳触りがよく、ウケる情報や商品を提供する方が、売上が上がりやすくなります。
ここで重要なのが、みんなが正しいと思っていて多数派のウケがよいからと言って、事実や実際の正しさとは関係ないということです。
民主主義の多数決の真実は、正解を出すことではなく、文句が出ないことと責任を取らなくていいこと。
間違っていた時に、「いや、みんなで決めたんじゃん」って言えるんですね。
ビジネスでも、例えばYouTubeで情報発信してお金を稼ごうと思ったら、多数派にウケて再生回数を稼げるかが軸となり、
審査があるわけでもないので、発信内容が真実かどうかは二の次になることが少なくありませんし、
もし誤っていても多数派ゆえに責任の追求がありません。
一方で、多数派と違う意見を言うと、説明がめちゃくちゃ大変になるわりに、多数派にウケないからお金になりにくい。から、さらに少数派になる。
みんなが言ってる、やってることの安心感はかなりのものがあり、無意識も含めると、実際それを判断や行動の基準にしているケースが多いように思います。
例えば、赤信号を渡ることは法律で禁止されている犯罪ですが、「みんながやっているから」という理由で赤信号を渡ったことがある人も多いと思います。
てか、僕です。
(#お前かい!)
がっ、しかし!
がっ!しかし!
赤信号くらいならどうでもいいかもですが、重大なテーマに関して、間違っていたり、勘違いしていたりする情報が多数派、常識になっていると、これはリスクが高くやっかい。
例えば、みんながやっている普通の生活習慣の結果、100%の確率で70%の人が生活習慣病になって亡くなっています。
また、世間がメリットを認識してから動く、というスタンスだと、メリットが認識される前に、えいや!で行動する「アーリーアダプター」が先行者利益をガッツリ取ってしまうため、残りの取り分は少なくなることが多いように思います。
(#ビットコインとか)
多数派だから間違っていると思っているわけでは毛頭ありません。
ただ、多数派か少数派かは、仕組み上、真実かどうかとは関係がない。
にも関わらず、少数派であると、少数派であるがゆえに間違っていると認識されやすい部分がある上、多数派の安心感もないので、
今後多数派の考えになるとしても、多数派になる前に、先んじて少数派の意見を持つには、それなりの覚悟がいる。
「鬼滅の刃」で、「生殺与奪の権を他人に握らせるな」というセリフがありましたが、
結局は、自分で学び、咀嚼し、何が正しく、何が本物か、自分で考えて、判断していくしかないのかなと思います。
終わり
P.S.
ちなみに鬼滅の刃はかなり流行っててみんな読んでるし、話題についていけないと嫌だから全巻読みました←