こんにちは。今日はせっかくなので最近の赤ちゃんの様子をお伝えしたいと思います👶
生後半年を過ぎ、下の歯が2本生えてきて、きゅうりなどをあげるとガリガリかじるようになっています。
あと、寝返りを打てるようになっています。いわゆる「ずり這い」とか、ハイハイはまだです。
なので、寝返りが有力な移動手段となっており、けっこうゴロゴロ転がってどっか行ってしまうので、目が離せません笑
ほふく前進のようなうつ伏せ姿勢から、後ろに下がったり回転はできるのですが、前に進むにはもう少し時間が必要なようです。
生まれてすぐの頃から、よく息子の体をくすぐって遊んでいたのですが、最近はちゃんとリアクションをしてくすぐったそうにしてくれます🤣
前はそこまで反応が無かったのですが、ここには脳や体の成長が関わっています。
赤ちゃんは生まれた時には自分の体の形を知りません。
お腹をくすぐった時に赤ちゃんがくすぐったがるのは、全身の中で自分のお腹がどこに位置しているかを認識している証拠です。
そんな感じで、体を認識するということは、自分の身体の輪郭を認識することですが、これは自分とそうでないものを区別することです。
つまり自分と他者との境界がわかることの第一歩と言え、自他を区別しながら「自分」という存在を確立していくのですね。
赤ちゃんは生後4ヶ月頃には写真や映像に映っている人と実際の人を区別できるようになり、目に映る他者を認識します。
しかし、鏡に映る自分を自分と認識できるようになるのは1歳と何ヶ月かの時間を必要とします。
つまり、順番としては、他人に気づいてから自分に気づくわけです。
他人を観察する視線を、ある日試しに自分に向けて見た時に、他人とは異なる「自分」に気づきます。
このように、鏡に映った自分を自分だと認識できるのは、実はごく一部の動物に限られていて、犬でさえも自分を認識することはできません。
これは、野生の動物にとっての関心事は獲物を捕まえたり、敵を避けたり、といった、他者に関することだったから、進化の過程で他者を観察する能力を伸ばしたことが影響していると言われている。
自分に視線を向けることは、別に生存に必須ではなかった。だから基本的に自分より他人のことの方が詳しく見える。見えてしまう。
だから、この性質を活用して誰かに客観的に自分を見てもらって、アドバイスやコーチを受けることもできるし、
逆に、聖書でいう「人の目の中のちりのような欠点は見るが、自分の目の中の梁のような欠点は気付かない」みたいなこともよく起こるんだと思う。
(目に梁、でかすぎん?)
終わり