同じような話を聞くことがある。
今回は、同じような話に対しての個人的なスタンスを、徒然なるままに語りまくりたい。
①同じ話を通して自分の成長を感じられる
高校の時に、国語の授業で夏目漱石の「こゝろ」をやった時に、先生が言っていた。
「こゝろをこの先の人生で、何度も読んでみてください。大学生、社会人、人生に迷った時。。。その時々で全く違う感じ方になると思います。それは君たちが色々な経験をして、成長した証拠で、同じ小説を鑑(かがみ)に、自分の変化を感じられるはずです。」
ということなんですが、逆に同じような話が、同じように聞こえた時は「成長してないのかもなー、もっと頑張ろう!」などと思うようにしています。
(ちなみに、小説「こゝろ」は高校の時の国語の授業以来まだ読んでません汗)
②繰り返すことで定着する
数学の公式を、一回見て終わることはなく、
公式を確認して問題を解く、というのを何度も繰り返して初めて公式が使えるようになる。重要な公式ほど、何度も繰り返してマスターする必要がある。
また、英単語も同じ単語を、繰り返し確認して瞬時に意味が出てくるところまで反復してこそ、テストで使える知識になる。
他にも行動やスキルのように、単なる知識では意味がなく、「知っている」から「している」段階まで習得する必要がある類のものもやはり、無意識次元でできるようになるまで、何度も基本を確認しながら実践して練習を重ねる必要がある。
何かを習得するには、同じことの地道な繰り返しが不可欠ということだろう。
③パターンが読めるからこその愛着
ドラえもんとか水戸黄門とか、毎回見てると、お約束の展開というか、話の流れが毎回決まっている。
古くはドリフ。世代ではないけど、毎回志村けんの後ろに人が通っても気付かず、「志村、うしろー」っていう伝説的なフレーズとか、ここでタライが降ってくるってわかってても面白いコントとかは再放送で見て何となく知っている。
パターンが決まっているからといって、全く同じということはなくて、むしろ、いつも同じ大枠のなかで、その回特有の違いを楽しむという、通な楽しみ方をすることもできるだろう。
パターンが読めるからつまらない、ではなく、パターンが読めるからこそ、様式美みたいなものや、何とも言えない愛着が感じられるんじゃないかな。
④愛を感じる
講演会かなんかで、聴衆の中には常連客もいれば、その日初めて参加する人もいる。
初めて来てくれた人がいれば、伝える側は当然とても嬉しいし、その人に合わせて基本的な所から話してちゃんとついて来れるようにすると思う。
常連客からしたら聞いたことのある話になるかもしれないけどそこには、新しく来てくれた人を絶対置いていかないよ、という思いがあるんじゃないかな。
同じような話を聞くたび、そんなことを思って、愛が感じられるんですよね。
終わり