どうもです。
月曜日って、仕事に行くのが面倒に思えたりします( ´_ゝ`)
でも、えいや!と仕事に行ってみると、何やかんやと仕事が進んでいき、その日の仕事は終わります。
仕事が終わった時の達成感といったらなくて、仕事後に少しでも自由時間があったりすると、とても幸せな気分になります。
もはやこの達成感のために仕事をしていると言っても過言ではないのかもしれない。
自由時間が嬉しく感じるのは、「不自由さ」の中にあるからではないか、と思います。
毎日なんでもかんでも自由だと、自由を感じることはできなくなってしまいます。
「幸せ」というのも、「幸せでない状態」から「幸せな状態」になった時に感じます。
すごくお腹が空いているときに食べる料理は、なんだかんだ一番おいしく、
健康の価値は失って初めてわかる。
価値というのは主観的なものだけど、レアなもの、希少性が高いものはより貴重に感じやすく、ありがたく感じるもの。
このことは、「有ることが難しい」→「有り難い」という、「ありがたい」の語源にも現れています。
聖書で「心の貧しい人はさいわいだ」というのも、そういうことなんだと思います。
現状に満足せず何かを求めている、そんな心の貧しさがあるからこそ、聖書に残っているような教えを、空腹時の料理のように貴重に思える。
困難で、逆境で、しんどくて、もうダメだぁ〜と思うしかない状況の中で天を呼んでこそ、一筋の光のように神様を見出せる。
そんなふうに考えてみると、「不自由」というものの捉え方が違ってきます。
学生時代の夏休みのような自由もいいけれど、社会人になって、仕事というある種の不自由がある中、仕事後にようやく得られた1時間に満たないような自由時間も、けっこう悪くないと思う。
終わり