どうも、「私の辞書に無駄といった言葉はない」を座右の銘にしようか迷ったことがあるエドワードJr.です。(実際には、していない)
本日は、「すべてのものは貴重である」ということについて
すべてが貴重と思う姿勢が非常に大切であると考えています。
理由の1つは、すべてを貴重に思わないと、自分が貴重に思いたい物事も貴重に思えない可能性があると思うからです。
人は1日に6万回ほど思考しているという話があります。
例えばですが、物事に対して、自分には関係ないからと判断して取捨選択したり、興味や意味が無いと判断して軽んじる思考が5万回あるとすると、
残りの1万回の思考も軽んじるサイドに引っ張られる可能性が高いと考えています。
すると、ここ一番で本当に貴重な機会を逃しかねず、自分が貴重に思いたい事に対しても貴重に接することが難しくなると考えています。
また、すべてを貴重に思うことが重要である他の理由として、自分自身の下す貴重かどうかの判断に対して、かなり懐疑的であることがあります。
聖書に畑の中に隠された宝の話があるんですけど、ガチな宝って隠されてるので、パッと見で判断できないんですよね。
今は取るに足らなそうに思える知識や経験が、20年後とかに土壇場の切り札のカードになるかもしれないし、
軽んじていた物事も、本気で取り組んでみた時に、その貴重さがわかるかもしれない。
で、そういう隠された宝は多くの人がスルーしてる可能性が高いので、それは自分の個性であったり、武器になると思っています。
自分では貴重さを認識できていないような貴重な物事をスルーしてしまわないためにも、現在において認識できるメリットや有益さを過度に判断軸にはせず、すべてが貴重であると思うようにしています。(善悪の分別はしつつ)
...と、偉そうに語りましたが、これ、言うほど簡単じゃないと思っています。
制限時間や出題範囲がある受験とかであれば、取捨選択して試験に出ることに絞って対策する方が、ゴールに対して効率的だったりします。
かくいう僕も、ミスター・取捨選択の名を欲しいがままにし、鬼のように取捨選択していく人間だったのですが、
人生は受験ではない
という事実に気づいたのが、
3日前
(めっちゃ最近じゃないすかw)
さすがにもう少し前ですがw、けっこう重要な気づきだったと思っています。
受験から解放されて久しい今、自分が貴重に思える部分だけのいいとこ取りというのは最適解じゃないかもよ?っていう今回の意見なのですが、
時間やエネルギーが有限な中で、取捨選択せずに物事に貴重に向き合うのは難しく、
人生ハードモードになりますw
ムズく、ムズい。
もはや、ムズがゆいです(意味不明)
ぶっちゃけ理想論に近いと思います。
でも、挑戦したい。
すべての物を貴重に思って接するために、
もっと速く行動しよう
もっと速く読めるようにしよう
どんな人の話も、自分に関係なさそうな話も、ちゃんと聞こう
見聞きしたことから、もっと多くの情報を正確に受け取れるようにしよう
物事にじっくり貴重に取り組めるように、時間を生み出す努力をしよう
...そんなことを意識して行動してみることで、自力が上がり、取捨選択によって得ようとしていた時間や効率も結局手に入ると考えています。
おわり