どうもです。
本日は、「つくる」ことについて考えます。
人間、つくる時もあれば、使う時もあります。
つくるものは、
商品やサービスの場合もあるし、
制度や仕組みの場合もあるし、
安心や安全の場合もあるし、
感動を創る、かもしれない。
そんな感じで、多岐に渡ってつくっています。
で、誰かが作った何かを使うことによって、便利に暮らしたり、先人がつくった以上のことができたりします。
誰かがつくったものを使わせていただきながら、自分だけで生きているわけじゃないことを認識することは重要なことだと思っています。
で!使うことは大事なのですが、ただ使うだけになってしまうことは問題だと思っています。
使うだけだと、往々にして批評家チックになりやすい。
何かしらの分野でつくる側になっている人は、つくる側=批評される側の気持ちがわかるので、指摘をする時も丁寧に言葉を選び、愛のあるフィードバックをすることができる。
つくる、とはちょっと違うかもしれませんが、飲食店で働いたことがあると、自分がお客さんの立場で飲食店に行った際に、めちゃくちゃ店員さんを慮って丁重に対応することができる、みたいな感じでしょうか。
使うだけの立場ですと、批評されることがないですが、
安全地帯にいながら批評だけをするのは、ちとタチが悪い。
批評しないとしても、ただ使うだけになってしまうと、どうしても受動的になってしまいます。
使うだけでなく、つくる側になることで、自分で生み出して、与えることになり、
ギブアンドテイクでいうところのギバーに、
消費と生産でいうところの生産者に、
能動か受動でいうところの能動になり、
人生のコントロール感が出てきて、自分の楽しさや幸せをも、自分でつくることができるようになると思っています。
つくる側になることは、評価・批評の対象となるので、かなり怖いです。
でも、その恐怖を乗り越えた先にある世界に、仕事にしても人生にしても、面白さがあると思っています。
終わり