エドワードJr.のブログ

徒然なるままに綴るブログ✨

性善説と性悪説

どうも、自分の名前の方向性について考えることが多い僕です。

 

 

突然ですが、ブログで使う名前変えます!
新たな名は、、、

 

 

 

 

エドワードJr.です!

 

 

異論は認めます!

 

 

今までの名前はハリーポッターでいうところの、「名前を呼んではいけないあの人」的な対応となりますので、よろしくお願いします。

 

 

で、今日のテーマは性善説性悪説

 

 

性善説について

 

 

あ、これはググっといてください。

 

 

性悪説について

 

 

昔の中国の思想家荀子が説いた説ですが、実はここでいう悪とは、「人間は弱い存在」という意味であり、「悪=犯罪、悪事」という意味ではないです。

 

 

性悪説というより「性弱説」の方がしっくり来る表現になります。

 

 

「人間が弱い存在」とはどういうことかというと、、、

 

 

例えば、目の前に他人の財布を置かれて、人が誘惑に負けてそれを盗んでしまった場合、

 


人は誘惑に弱く目の前に財布があれば誘惑に負けてしまうから、

 

 

財布を盗んだのはその人が悪いのではなく、目の前に財布が置かれている状況が悪かった、と捉えるということです。

 

 

昨日の記事でいうと、在宅勤務という、人目がない環境に置かれると人(というか私w)は弱いからだらけてしまう。

 

 

ここで根本的に悪いのは環境であって、自分は弱いから仕方がない。

 

→では、弱い自分でもできるように、環境をどうにかしてみよう!と考えるということです。

 

 

多分、メガネとかも同じ発想です。
#多分

 

 

この考え方に基づくと、ヒューマンエラーというものはなく、ほとんどの場合、システムエラーであると考えることができます。

 

 

自分ができないことがあっても、落胆して自己肯定感を下げることはなく、誰かができないことがあっても、誰かを責めることはなくて、

 

 

どうすれば、できるシステムや環境を作れるか?といった形で、建設的に解決策を探っていくこととなります。

 

 

本日は以上です!

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊