突然ですが、花はお好きですか?
多くの人は、花が好き、と答えるのではないかと推察します。
花が嫌い、という人はなかなか見かけません。
ところが、なぜ、花が好きなのか?について、明確な答えを出すとなると難しいものです。
「なんかいいから」
という感じなのかなと思います。
実は6万年前のネアンデルタール人の時から、花を供物として捧げる、みたいな文化はありました。
それどころか、もっともっとずっと前、哺乳類にとって花は、救いのシンボルのようなものでした。
裸子植物だけだった植物界に、被子植物が登場し、被子植物は色鮮やかな花で動物をおびき寄せ、花粉を運んでもらったり、実を食べてもらうことで、種を遠くに運んだりしました。
動物は高カロリーな果実、樹上という天敵から守られる聖域を得ました。
動物にとって花は、「豊富な食料と安全な住まい」のシンボルでした。
この習性が今でも残っていることから、僕たちも花を見たときになんとも言えない安らぎを得られるというわけです。
この安らぎは、理性とか理屈を超えた、感情に訴えかけるものです。
太古の昔、花を見て安らぎを感じられない個体は、食料が得られず、天敵に襲われるという、命の危険にさらされました。
「花を見たら安心を感じなければならない、さもなくば、お前は死ぬ」
...というくらい感情は、理性や理屈を超えた本能的な命令と言ってもいいくらい強いです。
ではもう一つ例題で「蛇はこわいですか?」という質問。
蛇はこわい、気持ち悪い、という感覚を持っている人は多いと思います。
これまた太古の昔、蛇を見ても何も感じない者は、捕食されたり、毒にやられたりするリスクが高くなりました。
蛇を見たら「イヤな気分になる」習性を持つ者たちが結果生き残り、その子孫が今も生きているわけです。
冷静に考えると、例えばクルマの方が蛇よりよほど危険ですが、クルマを見ても蛇を見た時のようにゾッとしたりはしません。
そんな感じで、人類史の中で狩猟採集とかやっていた原始的な期間は99%以上と長く、長く積み重ねられた生存のための心のメカニズムは今も色濃く残っています。
人間と言えば理性があって、考えることが特徴と思いますが、案外、言葉にならないような感情が行動の原動力となっていることも多いと感じます。
だから考えるだけでは半分で、同じくらい感じることや、感じる力を伸ばしていくことも重要だと、何となく、感じます。
終わり