エドワードJr.のブログ

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「適当」という賢さ2

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前回の続きです👍

 

 

前回、トリの記憶が正確な一方で、人間の記憶は曖昧という話をしました。

 

 

例えば、ある人物を覚えたいとき、写真のように正確に記憶し過ぎると、少しでも角度がズレた時に別人という認識になってしまいます。

 

 

ある程度の曖昧さがあるからこそ、いろいろな角度から見ても、その人だと認識ができます。

 

 

そんな感じで、記憶は単に正確なだけでは役に立ちません。

 

 

記憶が適当で曖昧だからこそ、正確に覚えていない部分を想像で補う必要があるため、人間は想像力を獲得できました。

 

 

一方、幼い子供ほどポケモンの名前を正確に記憶できるなど、記憶力がよかったりします。

 

 

それも成長によって大人らしい「曖昧な記憶」に成熟していくわけです。

 

 

子供は老いてなくて若いから記憶力がよいのかな?と思いそうなものですが、これは脳の成長段階の問題だということですね。

 

 

人間の脳は他の動物と違い、成長とともに「曖昧な記憶」をする部分が発達していきます。

 

 

ひらがななどの文字の認識も、ゆるやかな記憶の賜物です。

 

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記憶が正確だと、活字体の「あ」と、手書きの「あ」を、同じ「あ」として読むことができません。

 

 

特定の1種類の「あ」しか読めなかったら、困りますよね。

 

 

記憶が適当だからこそ、抽象化やカテゴリーという概念の理解も可能になります。

 

 

例えば、、

 

 

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人間の場合はこれらを同じ「リンゴ」としてカテゴライズして柔軟に認識できますよね。

 

 

でも、チンパンジーの場合は厳密で正しく記憶する分、かえって広がりがなく、融通が効かなくなってしまい、結果として両者を「リンゴ」と認識できなくなってしまいます。

 

 

そういった点からも、人間の適当な記憶力は私たちの認知の核となっていることがわかります。

 

 

脳はそのように無意識に「適当な」「適当さ」を装備してくれていますが、現実の生活においては、正確さや厳密さが必要とされる場面ももちろんあると思います。

 

 

「ある程度厳密にやろうと思えばできるけど、「適当」には大事な機能もあることをわかって、時と場合によってうまく使い分ける。正確に記憶しておくのが面倒な場合は、記録したりコンピューターを使ったりしてアウトソースする」

 

 

という感じでいけたらと思います👍

 

 

終わり