エドワードJr.のブログ

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「適当」という賢さ

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「適当」という言葉があります。

 

 

辞書を引いてみると、、、

 

 

「適当」
1.ふさわしいこと、  度合がちょうどよいこと。
2.いい加減に。

 

 

これ、なんか腑に落ちなくないですか?

 

 

例えば砂糖とか塩とか、何かしらを量るとした時、適当(いい加減)にやったとしても度合いがちょうどよくなることはありうるのかもしれないが、

 

 

そもそも適当にやるという姿勢自体が真剣さの度合いという観点からはちょうどよいとは言えないのではないか?

 

 

と、冷静にまじめに考えると思ってしまいます。

 

 

これはどういうことかというと、適当にやっている本人から見れば、程よい程度で適切という意味の適当ですが、

 

 

それが他の人から見た時に程よいとは限らず、「いい加減」な状態とも見えるため、「いい加減な」という意味で「適当な」が使われるようになったと言われています。

 

 

「適当」を意味する「いい加減」という言葉も、「良い加減」というポジティブな意味も持ち得ますよね。

 

 

完璧主義に陥って疲れてしまうような事態への助言として、

「いいかげんが良い加減」

「適当なのが適当」

みたいな格言もあったりします。

 

 

 で!ここまでの話は本題ではなくて、この、「適当さ」こそが人間の賢さなんじゃない?って話をします。

 

 

「もずの速贄(はやにえ)」をご存じでしょうか?

 

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※もず

 

 

もずが捕らえた獲物を枝などに刺して保存しておくことを「もずの速贄」というのですが、その獲物は放置されて、忘れ去られてしまうことがよくあります。

 
 
 
ここから、モズは貯えたエサを忘れてしまうほど、古来から記憶力が悪いとされてきました。
 
 
 
ほかにも、「鶏は三歩歩くと忘れる」などと言われたり、総じてトリは記憶力が悪いとされています。
 
 
 
でも実は全然そんなことなくて、トリの記憶は驚くほど正確です。
 
 
 
例えば、人間にほんの少し歪んだ正三角形を眺めてもらい、1か月後にその時に見た図形を思い出して描いてもらうと、歪みのないきれいな正三角形を描きます。
 
 
 
でもトリは、その微妙な違いを厳密に区別して記憶します。
 
 
 
少しでも差があれば、別物として扱う。まるで写真に撮ったかのように風景を正確に覚えることができるんです。
 
 
 
そんな風に記憶が正確で、いや正確過ぎるから、「モズの速贄」は忘れ去られてしまいます。
 
 
 
どういうことかというと、モズは獲物を刺した枝とその周囲の風景を写真のようにあまりに正確に覚えています。
 
 
 
でも、まったく同じ風景が固定されることはありえなくて、風が吹けば枯れ葉や枯れ枝が飛んで行ってしまったり、モズが獲物を刺した時点とは風景が変わってしまいます。
 
 
 
すると、モズの脳内にある写真のような風景と、現実の風景がうまく照合できず、「これは自分が取っておいた獲物ではない」
 
 
 
という判断になってしまうんですね~
 
 
 
では、人間はどうか?
 
 
 
実は人間の記憶はもっと曖昧で、ゆるくて、「適当」です。
 
 
 
でもだからこそ、人間は他のどんな動物より上手に記憶を扱えるのですが、それについてはまた次の機会に。
 
 
 
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