どうもです。
今日は「分析」について考えてみます。
分析を辞書で見ると、
「ある物事を分解して、それらを成立させている成分・要素・側面を明らかにすること。」
とある。
物事を要素に分解して分析することで、世界を詳細に見ていくことが重要だと考えています。
抽象的な物事を、分解して具体的に見ていく、という感じでしょうか。
例えば、「忙しい」という抽象的な形容詞がありますが、このままだと大雑把で、状況を正確に捉えにくい。
また「忙しい」は「心を亡くす」と書くように、心にゆとりがないようなニュアンスが含まれる。
そこで、「忙しい」を分解して、具体的にどのくらいやることがあるのかを冷静に把握してみると、
意外と大したことない量のタスクなのか、本当にやばい量のタスクなのかを判断でき、対策を打つことができます。
「疲れ」や「ストレス」もかなり抽象度が高い表現なので、要素分解をかけてみると、具体的な原因を特定することができ、解決手段も講じやすくなると思います。
もちろん、物事の結論やエッセンスを抽象化して理解することも重要だと思っています。
「つまり〜、端的に言うと〜、要するに〜、」のような表現で抽象化することで、森を見るように俯瞰できたり、結論を手早く得ることができます。
ただ、このように結論を焦って得ようとするあまり、内包する具体の要素を見落とさないようにはしたい。
例えば、「冷えたコーヒー」という言葉。
これは、
ホットコーヒーが冷めた「冷えたコーヒー」なのか、
アイスコーヒーとして作られたそもそもの「冷えたコーヒー」なのか、によって、
意味合いやストーリーが全く異なってきます。
同じ表現、同じ温度だとしても、です。
結論は同じように見えても、細部を具体的に見るとまるで異なる事象であることが、よくあると思います。
極端な例だと、「スポーツの結果」
例えば野球の試合で、第一試合と第二試合で、同じ「3-2」で負けたという結果だとして、
「あぁ、負けたのね」で片付けたくないんですよね。
2点を先取して余裕かと思いきや、油断や隙が生じて最終回に大逆転を喫した、のかもしれないし、
逆に3点を先取されてそのまま最終回までいって誰もが諦める局面で、1人の執念のヒットから打線がつながり1点差までいったが及ばなかった。だけど収穫が大きかった、のかもしれない。
結果や、結論だけに注目するのではなく、そこに至る過程や、結論に内包されている隠れた見どころを分析して楽しむ感受性を磨きたいと思っています。
終わり