エドワードJr.のブログ

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具体と抽象

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最近「具体と抽象」という本を読んで面白かったので、 今回は備忘的に紹介したいと思います。

 

 

何せ、抽象的な話なもので、うまく伝わるか不安ですが、 頑張ります笑

 

 

今、書いたように「抽象的」というとわかりにくいイメージがあるかもしれませんが、この抽象化がなければ人間の思考は成り立ちません。

 

 

共通する性質をまとめて一つのカタマリと見なし、それに名前をつけることで「言葉」が生まれていきますが、 これが抽象化に他なりません。

 

 

例えば、マグロも鮭もカツオもまとめて「魚」と呼ぶことで、「 魚を食べる」とか「魚はおいしい」という表現が可能になります。

 

 

「魚」という言葉を使わずにこれらを表現しようとすると、「マグロと鮭とカツオと・・・(以下略)はおいしい」と、個別の魚の名前をすべて挙げることになってしまいます。

 

 

さらに「マグロ」という名前も、 何万匹もいる個別のマグロをまとめて扱っているから、名付けられました。

 

 

「いま〇〇沖のA地点で泳いでいる先頭のマグロ」と「昨日豊洲市場で売られていた手前から3列目のマグロ」を「マグロ」という言葉を使わずに区別していたら大変です。

 

 

そんな感じで、 人間は抽象的に考えられるからこそ目の前に無いことも考えることができ、膨大な精神世界を発達させることができました。

 

 

人間は言葉を使っている以上、 誰しも抽象的に考えていることになりますが、 抽象か具体かは相対的なもので、抽象度には階層があります。

 

 

さっきの例だと、マグロは魚の具体で、魚は動物の具体、 動物は生物の具体(マグロ⊂魚⊂動物⊂生物)みたいな感じで。

 

 

そして、より抽象的に考えられるようになることが思考の成長・ 発達の一つの尺度になります。

 

 

例えば、おばあちゃんが幼い孫に電話して、「何してたの?」 と聞くとします。

 

 

幼い子供は「〇〇君とディズニーの△△(映画) でプーさんがハチミツを食べる所を観てたの」 などと答えるとします。

 

 

しかしこれだと「具体的過ぎてわかりにくい」となりかねません。

 

 

が、成長していくと、「友達と映画を観てたの」といった、 抽象度を高めた言いぶりができるようになります。

 

 

また、「おばあちゃんと〇〇君は会ったことあるから知ってると思うけど、 ディズニーの△△とかプーさんのことは知らないと思うから『〇〇君と映画観てた』にしとこか」と言った具合に、 抽象度の調整ができるようになってきます。

 

 

こんな感じで、抽象度に階層があることを踏まえ、 コミュニケーションにおいては相手と時と場合に応じて抽象度を使い分ける必要があります。

 

 

抽象は自由度が高く、解釈の余地がある一方、 具体は逆に自由度が低く、 解釈の余地がないという特徴があります。

 

 

学者気質の人は抽象的な自由度の高さを嫌い、 具体的に考えようとし、 実務家気質の人は抽象的に考えることを好みます。

 

 

例えば、「グローバル化を進めよう」という言説があった時に、 具体派の人はまず「グローバル化とは何か?」 を具体的に定義したくなり、

 

 

抽象派の人は「 『グローバル』を想像力を使って自由に解釈し、自分なりの味を出せる」 と自由度の高さを好みます。

 

 

相手がどのような傾向を持っているか、また、 どの程度の抽象度で事足りるシチュエーションなのか見極めて、 抽象度をすり合わせることが、 コミュニケーションや仕事において重要です。

 

 

人に仕事を頼んだり頼まれたりする時も、その人が好む抽象度=自由度を考慮して、「こんな感じでやっといて」と抽象的にオーダーした方がいいのか、「例えばこんな形で」と具体イメージの例を伝えたほうがいいのか、 変わってくるというわけです。

 

 

(続くよん♪)