どうも、6月は祝日がない月としてしっかり認識しているエドワードJr.です。
2020年も、はや6月となり、時の流れの早さを感じています。
今日は時間が早く感じることについて考えてみたいと思います。
これについては、心理的、生物学的、記憶の都合上、、、などいろいろ理由があるようです。
私が知る限り、以下のような理由があります。
①年齢を重ねるほど、1年の割合が相対的に小さくなる
10歳の人にとっての1年は、1/10年
100歳の人にとっての1年は、1/100年
的なことです。
もっともらしいですね🤔
②代謝速度による時間感覚の変化
野球の世界で、「ボールが止まって見えた」的な名言があったりしますが、
極限まで集中して感覚が鋭くなって平時より反応が速くなっているような時、
一方で世界の時間のスピードは物理的に変わらないために時間感覚がバグって時の流れが遅く感じられた、という説明がされることがあります。
子供の時は自分の代謝が活発で速いために世界の動きが相対的にゆっくり感じられ、
大人になると、徐々に自分の代謝がゆっくりになる一方、世界の速度は変わらないから相対的に時の流れが早く感じる、ということです。
もっともらしい。
③記憶の都合上
例えば、新入社員や新入生の1年は相対的に長く感じます。
一方で、何年か経って、勝手がわかって繰り返される物事が増えてくると、1年は相対的に短く感じます。
これは、前者の場合、新しく新鮮な出来事が多いので記憶に残る量が相対的に多いのに対し、
後者は一度経験したことなど、新鮮さが落ちた出来事が多いので記憶に残る量が相対的に少なくなるからです。
日常生活において、けっこう多くの出来事が起こってるはずなのですが、多くを忘れてしまってるということですね。
忘れることに対策を打つとすると、日記をつけるというものがあります。
1日に起こったことを振り返ることによって、日記をつけなかった場合に漏れていた記憶を留めておきやすくなり、
時間感覚が濃くなることになって、時間が相対的に長く感じられます。
また、簡単にでも日記を書いておくと、例えば10年前の◯月◯日の日記を振り返った時、驚くほど記憶が残っていたりします。
時が早く過ぎてほしい、という考えも全然いいと思いますが、もし1日や1年の体感を相対的に長くしたい場合は、日記を書くと相対的にいいかもしれません。
#「相対的に」使い過ぎ