どうもです。
今日は有名な、「隣の芝生は青い現象」について考察してみます。
これは、隣の家の芝生を横から見る時は、枯れた芝生が目立たずに青々として見えることから、他人が持っているものは、自分のものより良く見えることを意味します。
遠くのものほど良く見え、近くのものほど粗が目立つともいえるかもしれません。
これを拡大してみて、国の民族性みたいなところで考えてみますと、、、
「日本人は画一的で、安定志向でクリエイティブじゃない。だから日本人はダメなんだ!」
という言説があったりしますが、アドビが各国のクリエイティビティを調査したところ、国では日本、都市では東京がトップでした。
Adobe - アドビ システムズ、“クリエイティビティ”に関する世界的な意識調査を実施
「隣」とはつまり「自分から遠い、距離があるもの」とすると、空間だけでなく時間にも当てはまると思います。
代表的なものが「最近の若者問題」です。
時間的に近い「最近の若者」はイマイチに見え、時間的に遠い「昔の若者」は美化されて良く見える傾向があるという話です。
例えば50代の人が「最近の若者はなっとらん!」と言っていたとして、
30〜40年前、1980年代にその世代は「新人類」と呼ばれていました。
今から30年前、1980年代の新聞に以下の記事がありました。今は50代を超えている「新人類世代」の新入社員に対する、当時の上司の愚痴のようです。
「残業を命じれば断るし、週休二日制は断固守ろうとする。だから、仕事は金曜の夕方までにわれわれ上司が手を貸して片づけさせるしかないんです」
なんか、現代も言われてそうな。。。(´-`)
さらにさかのぼって、今から300年前、江戸時代中期の書物で、「武士道と云うは、死ぬ事と見つけたり」で有名な「葉隠」にも、以下のような記述があります。
「昨今の若者(武士)は、すべてにわたって消極的で、思い切ったことをしない」
「最近の男は、口先の達者さだけで物事を処理し、骨の折れそうなことは避けて通るようになってしまった」
...江戸時代でさえ(笑)
まぁ「昔はよかった」っていう感覚はわかるんですよ。一度、今の記憶を持ったまま20年前とかに戻ってみたいとか思いますもの。
まぁそんな願いは叶うはずはなく、現実に向き合って今を全力で生きるしかないのですが...😂
...ということで、人間、近くに当たり前にある物の価値を感じるのは難しいのだなと思いました。
今いる環境や、近くにあるものの価値、最も近い自分自身の価値を感じるのは難しいのかもしれませんが、
そのようなバイアスがかかりがちということをわかって、正しく認識したいものです。
おわり