こんにちは😃
最近教会で「智者楽水、仁者楽山」という言葉を教えてもらいました。
孔子の論語からの言葉らしいのですが、知者は水を好み、仁者は山を好む、ということだそうです。
昔から、仁者(道徳的に完全な人)たちは山が好きで、山に行って学んだといいます。
確かに、聖書でも、イエスキリストの「山上の垂訓」にあるように、核心的な教えが山で語られ、他にも聖書には山が多く出てきます。
そのように、山や水といった自然が豊かにあるような田舎には、人を育て、教えるものが多くあるんじゃないかと、常々思っているんです。
実際、ノーベル賞受賞者には田舎育ちで、子ども時代に自然の中で遊んだ経験を語る人が多いといいます。
※根岸さんは2010年にノーベル賞を受賞した人
...少し調べただけでも、けっこう出てきました。
データ的にも、ノーベル賞受賞者に田舎育ちが多いのは世界的な傾向だそう。
なぜ、田舎がいいのか?
さっきの記事にもありましたが、「何もない」ことが工夫を生み、クリエイティブに思考することにつながるんじゃないかと思います。
や、正確には何もないなんてことは全くなくて、むしろ木があり水があり石があり山があって、自然が豊かにあると思うのですが、そもそも人間を楽しませるために設計されている人工的な諸々とは違って、自ら主体的に考え、楽しもうとしなければ、自然の中にいても「何もない」ことになってしまうのだと思います。
毎日何をしようか考えて、今日は秘密基地を作ってみよう!などと自分で想像してやり遂げたり、
好奇心の赴くままに山で虫を捕まえたり、
「4人しかいないから野球やめよう」ではなく、「独自ルールを作って4人でも野球ができるようにしてみようぜ」みたいに新しいものを考えたり、、、
常に創造し、工夫してクリエイティブに生きることが、ある程度不自由な田舎だと遊びの中でむしろ育つように思います。
あとは、受け取れる情報量も、自然の方が圧倒的に多いと思うんですね。
例えば、
緑
「緑」という文字、緑の画像、葉っぱの写真の緑の色味を見てみても、写真の緑の方が色々な緑がありますよね。
さらに、実際に外に行って本当の葉っぱの緑に触れれば、風や音、香り、手触り、など、桁違いの情報量になってくるように、自然は複雑で、計り知れないほどの豊かさを持っていると感じます。
そんな感じで、田舎で暮らしたい...とは思いつつも、がっつり東京に住んでいるので、どうしよう...💧というところなのですが、
休日にはキャンプや山登りなどに出かけて自然の中で過ごしたり、田舎的なスタンスで日々を能動的に工夫して楽しんだり、もちろん都会の良いところは活かしつつ、、、という感じかなぁと思っています。
終わり