どうもです。
さて、今日のタイトルは「1991年8月に東京で起こった奇跡」、なんだと思いますか、、?
それは、
東京で開催された世界陸上で、「未だに破られていない走り幅跳びの世界記録が樹立された」です。
説明しますね。
当時、走り幅跳びの世界記録は、アメリカのボブ・ビーモンという人が1968年のメキシコ五輪で跳んだ8m90で、長らく破られていない記録でした。
これは標高2000m以上の高地で出たため平地での更新は難しいと言われていました。
(高地は気圧が低く空気が薄いため空気抵抗が小さい。そのため、短距離、跳躍競技には有利らしい)
この記録に挑んだのは、カール・ルイス
100メートル走のイメージが強いルイスですが(実際、東京大会で100mの世界新を出しています)、
実は走り幅跳びもめっちゃ強く、当時で10年間負けなしの65連勝中、世界記録に最も近いとされていました。
走り幅跳びでは、何回か跳ぶのですが、この日、8月30日のカールは好調で、1回目8m68と過去2回の自身の優勝記録を上回り、3回目に8m83と、世界記録8m90に肉迫します。
そしてついに4回目の跳躍、
8m91!
世界記録を達成します。
誰もが、カールルイスの優勝を確信していました。
が!
しかし!
が!
しかし!
実は走り幅跳び界には、もう1人実力者がいました。
彼の名は、マイク・パウエル。
カール・ルイスに65連敗を喫した男
である。
日本一の山は、富士山、
では、2位の山は?
/
「標高という観点であれば、北岳です」
\
(...あ、ごめん、まぁそうなんだけど、今一位じゃないと記憶に残らない的な文脈だから、ちょっとごめん🙏)
2位の山が印象にあまり残らないように、「1位にこだわらなければならない局面」が、この世界には、あります。
そんな中で、10年間、カールルイスの影でずっと1位になれなかった苦労人がマイク・パウエルでした。
この日、パウエル的にはナイスジャンプを連発していましたが、ルイスに世界記録を跳ばれてしまっては、さすがに敗色が濃くなっていました。
でも、マイクは決して諦めませんでした。
10年間、ルイスを追って努力をし続けたその執念をぶつけた5回目のジャンプ、
その結果は、、、
8m95
パウエルは世紀の大ジャンプをやってのけ、
これが世界新記録となり、そのままパウエルは優勝。
10年ぶりに敗れたルイスは、悪びれずに勝者をたたえた。
「私にとってグレートな競技ができたと思う。もっとグレートな競技を、マイクがやってのけたということだ」
8m80以上のジャンプを2選手以上が応酬する試合は、その後実現しそうになったことすらなく、
マイク・パウエルのこの記録は、現在に至るまで破られていない。
【1991年世界陸上走り幅跳び決勝③】マイク・パウエル5回目世界新記録 - YouTube