どうも、譬によらないでは何事も語らないようにしようとしたけどやっぱり無理だったエドワードJr.です。
脳には、何かと何かを結びつける力、つながりを発見する力があります。
この、一見関係ないものとものとの間に、つながりを感じる力は、30歳を過ぎるあたりで飛躍的に伸びると言われています。
脳細胞が年齢とともに減少する現象もあるにはありますが、一方で30歳を超えて伸びる部分もあるというのは、希望的であること山の如しです。
この、つながりを見出す力を駆使した結果が他ならぬ比喩や、たとえになります。
例えば、コップの中に入っていた牛乳を一度捨てて洗ってきれいにしてこそ、水を新たに入れられるように、何かを新たに学ぼうと思ったら既存の考えを捨てないといけない、的なことです。
ブログで何回か紹介している脳科学者の池谷氏いわく、このたとえる力がいわゆる頭がいいことを指すらしい。
「何かを学ぶこと」と「コップと水」の話って、本当はかなり違う次元の話ですが、それを結びつけて、なんか納得感が得られる、というのは確かにけっこうすごいこと滝の如しです。
将棋の羽生さんも、人間とAIの最大の違いの一つとして、この異なる物事を結びつける応用力を挙げています。
人間は将棋で学んだことをチェスに応用できるけど、AIは将棋がいくら強くてもチェスに応用できないからチェスは弱い、みたいなことです。
「このようにこうだー」
と考えられる点が、人間の知性の圧倒的な強みであるって言ってました(羽生さんが)
この力、もはや「このようにこうだー力」として定義したいくらいですが、
チェスの知見が宇宙開発にも使えるかもしれないし、医療にも使えるかもしれないし、はっきり言って可能性は無限で、
この力があると無いとでは、確かに雲と泥のような差があると感じます。
そんな、人間の強みである「このようにこうだー力」ですが、私が思う、この力を持つ最たる人の1人は、、、
やっぱJesusかな。
上から目線ですいませんw
(そしてなぜ英語)
聖書を見ると本当にたとえが多いです。
たとえによらないでは何事も語らなかった、と言ってるくらい、たとえが多いこと林の如しです。
私もたとえ縛りで会話をしてみようとしたところ、2分で挫折するレベルでした笑
「譬(たとえ)」というトリッキーな漢字を使うくらい、聖書のたとえに対しての強いこだわりを感じます...!
AIに対しての人間の圧倒的な強みである、このたとえる話が、人々に長年読まれてきた聖書にたくさん出てくるのは、
感慨深いこと水の如しだと思いました。
(たとえが意味不明なこと山の如し!)