オー・ヘンリーという小説家の、「賢者の贈り物」という話がある。
貧しいジェイムズ・ディリンガム・ヤング夫妻が、お互いにクリスマスプレゼントを買うお金を工面しようとする。
夫のジムは、祖父から父そして自分へと受け継いだ金の懐中時計を宝物にしていた。
妻のデラは、膝下まで届く美しい髪を持ち、それはまた夫婦の宝物でもあった。
デラは、懐中時計に付けるプラチナの鎖を夫へのプレゼントとして買うために、髪の毛を買い取る商人マダム・ソフロニーの元で宝物の髪をバッサリと切り落として売ってしまう。
一方、夫のジムは、デラが欲しがっていた鼈甲(べっこう)の櫛をプレゼントとして買うために、宝物の懐中時計を質に入れてしまっていた。
デラが買ったプラチナの鎖が付くはずだった懐中時計は夫の手元にはすでに無く、ジムが買った鼈甲の櫛が留めるはずだった妻の髪もすでに無く、結局お互いのプレゼントは無駄になってしまった。
だが夫婦は、お互いの「思いやり」をプレゼントとして受け取ることになった。
物語の結末で、この一見愚かな行き違いは、しかし、最も賢明な行為であったと、締めくくられている。
ちょうど、奥さんの誕生日が近いので、何かプレゼントをしようかなと思っていた時にこんなお話しに出会いました😊
誰かにプレゼントをあげる時、けっこう悩みますよね。
「最近欲しがってる物あったかなぁ。。」
「ミニマリスト的な志向があるかもしれないから、お菓子みたいな、消耗品・消え物の類がいいかなぁ。。」
「Amazonのギフトカード、無難だけど安逸かなぁ。。」
という感じで、けっこう頭使います笑
でも、こんな風にプレゼントについて悩む、このプロセスこそが、プレゼントのあるべき形なんじゃないかな。
つまり、贈り物は、どんなものをあげれば喜ぶだろう、などと相手のことを深く考えたものであれば、その真心が伝わりさえすれば、極論何でもいいんだと思います。
何ごとも、同じ物や行動だとしても、どんな気持ちが込められているかが大切なのだろうと思います。
終わり